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才能が無い奴ほど美大に行きたがる

美術大学に入っている人って、絵がうまいだとかセンスがあるだとか、世の中の大半の人がそういったイメージを持っているのかと思います。

しかし、美術大学にいる大半は才能がありません。結局勉強のようにデッサンを習ってきただけで、真面目な多い印象が多く感じました。数学や英語のようにまとまったセオリーを学んで、それを社会に還元できるようにするというのが基本にあるのだと感じます。

こういった美術の考え方は非常に商業的なデザインを生み出すには適していると思います。過去から現代までのデザインのセオリーを身につけ、非常に細かく真面目。正解があるデザインをしっかり身につけているため、デザイン会社や広告業界でつまらないクリエイティブを生み出して一生終えるんでしょうね、という感想しかありません。

筆者は都内3大美術大学のひとつを中退していますが、良い意味で尖った人が少なく、つくっているものもセオリー先行で内容がなく、形だけ綺麗に整えました(といっても綺麗まで辿り着いていない)という作品が非常に多くあります。そういった空気感は筆者にとっては非常に退屈でしたが、社会に出るといわゆる「真面目なデザイン」の方が受け入れられやすい傾向にあるのだと感じます。では、真面目なデザインを行なっている人々ってその後社会でどうなるのでしょうか。

例えば広告会社。広告もセオリー重視です。電車に乗っていると、「薄毛は気になりませんか?」だとか「将来への心配はありませんか」だとか「尿もれが..」だとか、マーケティング的に一時的に効果のある不安訴求を使った広告が多い印象があります。マーケティングリードで、デザイナーがその考え方に沿ってダサいクリエイティブをつくる。経済学的には非常に論理的な戦法です。デザインもそれにそって、ここの視線が〜とか、この色はターゲットによく当たるとか、何とでも言えるのです。しかし論理論理と言いますが、感情というものは論理を超えていくものです。

そういった意味で本質的に感情を動かす広告をどうやってつくるのか。形や論理に囚われるのではなく、自分はどうしたいのか、どうするべきなのか、しっかり考えを持った人がもっと美術大学にはたくさんいて欲しいなと思います。悪い意味で真面目なデザイナーは、単純に美大に入る事で自分の微塵もないセンスに、◯◯美大卒という格付けしているだけです。

以前東京現代美術館でとある展示を見ました。幼稚園児に「あなたの体の中ってどうなっているの?」と質問して絵を描いてもらうという展示で、園児達が自分の体の中を想像したものが300枚ほど壁に貼ってありました。ある園児は、心臓や肺や腸を真っ赤に塗って「綺麗」に描いている。しかし、別の園児の体の中には、空があり、虹があり、カブトムシが飛んでいました。美大で教わるアートは前者。自分で学ぶアートは後者です。そして、人の感情を動かせるアートもデザインも後者だと思います。

世の中の印刷物の入稿作業や価格変更などの広告作成において、真面目な人の丁寧な量産能力は必要です。しかし感情を動かすアートを作りたい人にとって、必ずしも美大に入る必要なんてありません。