ピクトグラムどのようにして生まれたのか?

絵で情報を伝えるピクトグラム。今となってはトイレから空港のサインまで、街のあらゆる場所で使用され、人間にとって欠かせない概念となりました。しかし、これは一体誰がつくったのでしょうか。

ピクトグラムやサインの原型となったのは「アイソタイプ」と呼ばれるもの。これを開発したのは、オーストリア・ウィーンの政治経済学者のオットー・ノイラートです。1920年代、現在のピクトグラムの役割以上に、戦争のせいで教育を受けられなかったウィーンの労働者や、言葉がわからない移民に、複雑な社会経済を教育することを目的として開発されました。様々な国の人口統計や社会統計を以下の画像ように表現することで、完結に表現することを可能にしています。人や社会の仕組みを簡易的な方法で表現した視覚研究においての画期的な発見となり、後の地図学やグラフィックデザインに大きな影響を与えました。

現代では、どこでも目にできる案内図や、路線図など、これは元をたどるとアイソタイプに行き着きます。人の脳は、何かを覚える時に、複雑な情報をアウトライン化します。これで簡略化して覚えるだけでなく、理解を早めることが可能となります。こういった複雑な情報を整理するのに、ノイラートは、アイソタイプに色は8色のみだとか、書体はFUTURAを使うといったルールを決めました。情報に形を与えるだけで、私たちは理解の妨げになるものを超越したのです。

また、私たちが企画制作やデザインを行う時に、例えば言語理解など、これは「当たり前」だとか「わかるだろう」という固定概念を取り払って考えると、新しいアイデアが浮かんでくるのかもしれません。