「ぼくだったらこうする」という言葉の重み

岡本太郎自体に、実を言うとあまり共感できていないのだけど、

それは彼のことをもっと知ればわかる部分があるのかと感じて今回はしっかり読んでみた。

その中で、こんな一節を見つけた。

「ぼくはいつでも最低の悪条件に自分をつき落とす。そうすると逆にモリモリッとふるいたつ。自分が精神的にマイナスの面をしょい込むときこそ、自他に挑むんだ。ダメだ、と思ったら、じゃあやってやろう、というのがぼくの主義。いつも言っているように、最大の敵は自分なんだ。」

これは、常に自分を最低の条件につき落とせるのは自分自身だということだ。

甘えようと思えば、甘えた環境に自分を置くことなんていうことはいくらでもできる。

自分を殺すと、そうすると自分が強烈に生きるということだ。

 

この話を聞くと、よく会社で「受け身体質をするな」と言われることを思い出す。

受け身体質というのは、一見ラクだ。

一見ラクだが、そこに大きい問題をたくさん孕んでいる。

人生を、仕事を他人まかせにして、

「僕だったらこうする」という言葉を使えない人は、人生に責任を持てない人だと思う。

言われたからやる、という気質の人は社内でもよくいるのだけど、

大抵の場合、スケジュールも決めない営業から細かいデザインの指摘まで受けて、

毎日休みもなく、必死に働いているのに、評価も上がらないまま文句ばかり言っている。

逆に自分の言葉に責任を持っている人は、そういった甘えた環境に自分自身を置くことを是とせずに、

その言葉言葉に仕事に責任を持って取り組むことができる。

 

「僕だったらこうする」という他人任せにラクしない人は強い。

デザイナーであれば、こういった責任を持った考え方を持っている人はデザインの色・形・配置全てに

意味を持たせてつくっているし、それをどのように組み立てたのか

細かく説明できる上に、得意先を納得させることができる。

単純にデザインだけじゃない。

スケジュールも先に出し、この日とこの日は対応できないしこの仕様だったらこれぐらいで仕上がるという予定を先に伝える。

 

特に私の会社で「受け身体質になるな」と言われるのは、この両者の差があるからだ。

自分をラクな道に導くのは自分自身だけど、結局そのしわ寄せを代償を払うどころか、

デザインの提案が通らないなどの問題が起きればヘルプが必要になり、周りを負のループに巻き込むことになる。

 

これはうどん屋でも一緒だ。

自分と対話して俺ならこれをこうすると腹落ちさせる人と、

ただただユーザーの意見を聞き、

「お客さんがチャーハン欲しい」

「お客さんがカレーが欲しい」

じゃあそれをだしましょ。と、頭を使わずにやっていたら、

じゃああなたは何屋なんですか?という話になる。

日本の製品にボタンが大量にくっついてるのは、そういう理由があるからだと、

デザイナー的には思うことがある。

己と対話せずに、ただただ言われた通り、ラクな道に進めさせていると、

最終的には自分の人生に責任を持てずに、他人の人生を生きることになってしまうんだと感じる。

せっかくなら、自分の言葉や仕事、人生に責任を持って楽しみたくはないだろうか。