赤口の闘い
雨の中 人工芝の上でフットサルをしていて、 転倒。 ボールを追いかけていた時から 転ぶ まであっという間だった。 転んだ時は、腕にものすごい衝撃があり これは折れたなと思った。とは言いつつ、 骨折 なんか何度もしてたので、大したことないと思っていた。
1日経っても痛みが治らないので、近くの整形外科に行ってみると、医者に これは尋常じゃないから 一番大きい病院で見てもらいなさいと 、紹介状を渡された。 大学病院で診察を受けると、橈骨頭骨折ということがわかった。 それだけだったら、 まあ 問題ないと思うんだけど、 骨がずれてしまっているとのことだった。 結局 1週間後に手術となった。ズレたままだと可動域制限や機能障害のリスクがあるらしい。
手術では全身麻酔ではない 手術方法が使われた。全身麻酔はやはり 呼吸もできなくなるので体に負担があるらしい。 ただ 、ぶっちゃけ部分麻酔の方はメンタルへの攻撃が凄まじかった。 29年間生きてきて 一番大変だったことは、 高校時代に変な担任に当たってしまったことだったが、2番目が会社でパワハラを受けたことだった。 しかし、 手術当日。 そんな これまでの痛みなんてものは全く異次元のものが最上位に来た。医療ドラマセットかよという、ちゃんとした手術台に寝転んだ。 本当に手術は大変だった。 麻酔は肩にも打つし 脇の下からも打つ。 そもそも 注射が昔から苦手で、血液検査の際は 必ず 寝て 採血を取るほどなのに、 腕全体が麻痺するような でっかい注射を打つ。まず 麻酔をするだけで、過呼吸になってしまい、息を吸うのも大変だった。会社でパワハラを受けた時も、息ができないことはたくさんあったが、本当に肺の上に重いものを乗せられるような感覚で、 まだメスを入れてないのにとんでもない辛さがあった。ここから メスを入れるという恐怖が心の中にあった。 麻酔をするだけでもこんなに大変なのに 今から本番なのかという絶望感が心の中に漂っていた。 しばらくすると腕の感覚がなくなった。それも本当に気持ち悪い。腕があるのに触覚がないからだ。 そこから手術は進んでいき、 ドラマであるような手術台の明るいライトが点灯した。医者は、あーでもないこうでもないと相談しながら、 どんどんと 手術を進めていく。 まるで人間の腕も 手羽先 のようだ。 ここの骨がこうだからこう動く みたいな 難しい話をしている。 たまに なんだこれ わからないだとか、 これはうまくいったとか言ってたりして、不安になったり ほっとしたりする。人体をいじる独特な音を聞きながら2時半から始まった手術は気づけば5時前になっていた。本当に医者というのはすごいなと思った。 最後の方も何やらこの骨は動かないだとか 硬いだとか言いながらノミやら ハンマーを使って色々な音がするのがとても気持ち悪かった。
麻酔はされていても自分の腕 なので、 謎に感覚があるというか、 イマジナリーの腕が右腕に存在していてそれをいじられているのがわかる。わかるけれど それを意識すると、本当に気持ち悪くなるので、何も考えたくなかった。あまりにも辛くて、 こういう時にこそ見えるイマジネーションがあるのかと思って、脳の深いところまで 探っていくと、 自分の人間関係というものが 過去の繋がりから成り立っているのではないかと思った。僕の彼女は 韓国人だが、韓国の独立を目指して日本軍 戦った人たちは、これよりもっと恐ろしい体験をしたんだろうなんて考えていた。そういった 呪いが、僕の体にものしかかっているのかもしれない。僕はいつも少数派にいる。でもその辛さを前前前世ぐらいの僕が経験したことが脳内にぱーーっと流れた。 手術中はどこに目をやっていいのかわからないし、 何を考えたらいいのかもわからない。 ただ 麻痺した自分の右腕が、ぱっくりと口を開けていじられているのと、 それを レントゲンで確認したりなんかした。やはり 辛いのは最初だった、 途中からは慣れてくるし、 過呼吸も収まった。人間は痛みに対して『逃げ場のなさ』『時間の制御不能性』を感じると、人は“内的な宇宙”に潜り、意味の再編成を行うらしい。心が「ここではないどこか」へ避難するような感覚。ここら辺を意味の再構築(reconstruction of meaning)とかいうらしい。
チタン製の3本のボルトを入れて手術は無事終了した。人工骨も検討したが大丈夫だったらしい。 関節が曲がってしまったみたいで それを直してくれたらしい。自分の腕が 想像上と違うところにあって、 それがあったかくて、 お腹の上にどしっと 乗っていることが気持ち悪かった。
しかし 次に待ち構えているのが さらなる 難関でもあった。 実は自分は鎮痛剤が効かない体質なのだ。 麻酔が切れた後、人生で一番大きな痛みと戦った 。 ナースコールを4度も 5度も鳴らし、 鎮痛剤を入れてくれと入れて言ってももう強い薬は打ったと相手にされなかった。そのうち、 あまりの痛みで全身が電気風呂に入った時のようなしびれと震えが襲った。 さすがに、これはやばいんじゃないかと思って、またナースコールをすると、 ちゃんとした看護師さんが、痛みを受け入れる 体制をしっかり 整えることが大事だと教えてくれた。 ただ痛い痛いと、 ぐるぐるとベッドの上で悶えていると、さらに痛くなる。 そうではなくて、空手の型のように、 バシッと構えることで精神面での とても落ち着ついた。しかし、 痛みはなくなってくれるわけではない。 これまで経験したことのない痛みが、 しかも 鎮痛剤も全く聞いていない痛みが、全身を襲う。 11時から朝の4時まで、ずっとこんな感じだった 。太平洋戦争 経験した戦士たちは こんな気持ちだったんだろうかと思った。 逃げられない痛みというのが、こんなに辛いということを知らなかった。 鎮痛剤も効かない、痛みは引かない、 ただ耐え続けるということがどれほど辛いか。 そして 社会の痛みでも何かあったら逃げればいいのだが、 これは本当に自分との戦い というか、 逃れられないというところが 本当厳しかった。 youtubeで川の流れる音と映像を流して、痛みが流れていく様子を想像して耐えた。4時ぐらいになってから 新しい飲み薬を入れることになって、そこからはぐっすりと寝れた。 本当に辛い1日だった。 そしてこの日は赤口 だった。 怪我したのも 赤口だ。弱ってない時にしか意識しないが やはり僕には 6曜との関係が何かあるのかもしれないという気持ちにもなる。
痛みには限度というものが 「相対評価」による限度の再定義され更新していくが、今回の恐怖と痛みはとんでもなかった。これを経験したらさらなる景色が見えるのだろうか。6月3日を赤口の戦いとして自分史に刻もう・・・

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